“私に取材を申し込む記者はたくさんいる。だが、ここ数年、私が受ける攻撃も強くなっている”-森村誠一氏は、日本を代表する推理小説家だ。氏が執筆した“人間の証明”が映画化され、同作は中国に最も早く輸入された外国映画のひとつとなった。中央テレビ(CCTV)網が報じた。
当時、常石敬一という大学教授が、森村氏を探し当てた。常石教授は研究を通じ、日本は生物化学研究分野で世界でも最先端レベルにあった事実を突き止めた。だが、さらなる調査を経て、教授は、“日本の研究成果は、旧日本軍が第二次世界大戦中に実施した生体細菌実験によって得られた結果である”という衝撃の結論に達した。
旧日本軍による犯罪を暴露するため、常石教授は関連する著作を出版したが、誰も買わなかった。そこで彼は森村誠一氏に連絡を取った。このような経緯から、森村氏はサスペンス作品の執筆に取り掛かり、“苦痛に満ちた”創作活動に入り、ノンフィクション3部作“悪魔の飽食”を完成させた。
〇激しく嗚咽しながら実験の様子を語った七三一部隊の元隊員
七三一部隊は、捕まえた捕虜を“マルタ”と呼び、捕虜のひとりひとりに3桁の番号を振った。捕虜には名前など不要というわけだ。彼らは、単に言葉を話す、生きた“実験材料”に過ぎなかった。
“悪魔の飽食”には、青酸カリの毒ガス実験の対象となる母と娘が登場する。この実験は、様々な毒ガス、あるいは同じ毒ガスの異なる濃度といった環境の違いによる人間の生存時間の違いを調べ、日本軍に毒ガス戦のための資料を提供することを目的に行われた。母と娘を同時に実験室に入れて、成人と子供がそれぞれ、同じ毒ガスでどれくらいの間“持ちこたえられるか”をテストした。母親は、毒ガスが密閉された実験室に充満しているのを見て、娘の頭を地面に押し付け、自分の身体で娘を護ろうとした。しばらくすると、先に娘が、後を追うように母親が息絶えた。
森村氏は、取材に対して次のように話した。毒ガス実験について言えば、当時、毒ガス室の外に立ち、ストップウォッチを握り、母と娘が息絶える時間を計る兵士がいた。その兵士は、当時の様子を振りかえり、涙を流し、両手のこぶしを握りしめていた。彼にも妻と息子?娘がいるが、冷静に母と娘が息絶える時間を計測したという。人間がそんなことをできるなど信じられるだろうか?元兵士が当時を振り返った瞬間、彼に人間性が戻ってきた。
終戦後、兵士らはやっと人間に立ち戻った。彼らの多くは、戦後症候群を患った。戦争が終わって初めて、彼らは、自分たちが戦争中に行ったことが、悪魔の行為そのものだと認識した。ほとんど全員が反省した。戦争は、人間を精神的に人間でなくならせる。人間は戦争中、非人道的な精神世界を構築するようになる。
森村氏は、著書の中で、“私たちも、七三一部隊の延長線上に立っている。再び戦争が始まるようなことがあり、同じ状況に立たされれば、当時の彼らと同じような残酷極まる悪魔の行為をする恐れがある”と読者に警告を発している。
〇勇気を出して歴史に直面した多くは、七三一部隊の下層兵士
森村誠一氏は、作品の執筆にあたり、30数人の七三一部隊元を取材したが、彼らのほとんどが、同じような様子だった。多くの人が、当時の様子を述べる時に号泣した。常に心の中は苦しみで一杯という人もいた。また、ある時点で突然、感情の抑制が効かなくなる人もいた。
証言したいと申し出た元兵士の多くが下層兵士だった。“戦後、彼らは決して幸せに暮らせなかった。彼らは私に、『あなたがこれらの秘密を大衆の前に公にすることができれば、私はこれらの秘密を死後あの世に持っていく必要はなくなる』と話した”と森村氏。森村氏や常石教授がいなければ、これらの元兵士は、本当に、七三一部隊の秘密をあの世に持っていかざるを得なかったことだろう。そして、一部の人間が引き続き、生体細菌戦を実施したことで英雄扱いされた名誉を享受していただろう。
〇臭いものには蓋をすべき?
ここ数年、森村氏の自宅の玄関にペンキをかけられる事件や、24時間絶え間なく嫌がらせの電話がかかってくることが続いた。入り口には保安のために警察官が配備されたこともある。極右の人間が森村氏を“売国奴”とののしり、“筆を置け”と迫った。森村氏は、“筆を置くことなどあり得ない。私の著作が1人の日本人の善意によるものであることを、中国の人々が理解してくれていると思っている。日本人は、当時の行為は正しくないものであると考え、十分に反省している”と話した。
森村氏は、“日本には、『臭いものには蓋』という諺がある。だが私は、臭いものはあくまでも臭く、全てを取り出して、皆に『私は間違ったことをした』と告白し、謝罪することが、正しい道だと思っている”と続けた。
戦争に対する日本人の認識は、現時点では、被害者の立場に留まっている。人々は、戦争がどれほど残酷な行いかを十分知っている。広島と長崎に投下された原子爆弾を忘れるはずはない。だが、日常生活を送る人々の上になぜ原爆が投下されたのかについて、理性的に考えられる人はほとんどいない。戦争中、日本は一体何をしたのかについて、答えられる人もほぼ皆無だ。
森村氏は著書の中で、“自分の国がかつて犯した誤りを暴露することは、苦痛を伴う作業である。だが、我々には、その苦痛に耐え、これらの事実を後代の人々に伝える義務がある。決して、彼らの記録が薄らぎ、当時の人々が命と引き換えに教えてくれた教訓を忘れることのないように”と訴えている。(編集KM)
“人民網日本語版”2015年8月24日
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